世の中が新元号でざわついていた平成三十一年四月二十五日に本学の神山ホールで人気ロックバンド「キュウソネコカミ」が熱い演奏を披露した。そんな中、京都産業大学新聞局はキュウソネコカミに取材することができた。
―本ライブは平成最後の実施になるが、メンバーの皆様の「思い」を。―
キュ 平成最後ということをあまり意識しないで生きようと決めていた。令和の発表の時にいろんなグループが日本を沸かせていて、お祭りモードでHappyな今回はいつもと違うなと感じた。最初に意識しないと言っていたがやはりとても意識している。
普段から周りの今これを言わないといけないだろうということを曲にしているので、これはみんながお祭り騒ぎになれるチャンスだと思っている。
―バンド結成についての経緯を。―
キュ もともと関西学院大学の軽音楽部に全員所属していて、前進バンドをセイヤさんとオカザワさんでやっていた。部内はコピーバンド至上主義の風潮だったが練習が苦手だった。しかし、演奏のうまさではなくパフォーマンスであると考えて、曲は素人でも作れると感じた。
それから一年ぐらい活動していた時に一番仲の良いライブハウスの店長にお前たちは売れないと言われて就職活動を始めた。しかし、うまくいかなくて自分に就職は無理だと考えて、そこから徐々にメンバーを集めていった。当時は就職氷河期で基本的にみんな大変で、みんないろいろとバンドをやる理由があった。
二十六歳ごろから徐々にフェスに出してもらえるようになってきた。スタートが周りのバンドに比べて少し遅かったから同世代と言われているバンドはみんな年下になる。
―MVはメンバーが自分で考えているかー
キュ ほぼほぼ考えていない。加藤マニさんというインディーズの頃からタッグを組んでいるMVの監督がいる。すごく自分たちを理解してくれている人で企画会議もするが、監督が考えてきてくれるアイディアやストーリーがすごく面白くて信頼しているから一緒に作っているというより任せている。監督もこちら側がやりたくないことを。理解してくれている。
キュウソネコカミの曲はインパクトがあるものが多いのでこれでしかMV作れないみたいなことが嫌だが、監督はそのままストレートにドラマを格好良く作ったりせずに、そこから一歩二歩先の違うところに行ったアイディアを出してくれる。
例えば「推しのいる生活」では単純に言えばアイドルを応援する曲だが、そういうことだけではないと言っていたら、監督が古代の推しは卑弥呼様だったのではないか、というアイディアを出してくれて、それだと僕たちも思った。
監督はあまりデリカシーがない人で
「この歌詞は全然よくないですね」、とか
「この曲のMVは取りたくないですね」、とかいろいろ言ってくれてそれで曲が良くなることが多い。本当の意見を言って、きちんと理由も説明してくれるこのような人はとても貴重でとても信頼している。
―曲を作るにあたって、題材などは日頃から考えているか。―
キュ 気が付いたことはスマホにメモしている。依頼を受けて曲を作ることもあり、日頃メモしていたことが依頼された曲の歌詞に影響したりする。
元々、セイヤさんの大学の前身バンドの時の曲も授業の名前をそのまま曲にした「日本政治思想史」という曲があり、大学生活のことや嫌いな先輩についてことなどをかなり具体的に曲にしていた。その時行っていたライブのバンドが日常生活の愚痴を言ったりするあまり文学的ではない、起こったことをただ字に起こしただけという歌詞のスタイルで、これなら自分でもできると思った。
こう思っている人多いよねというところから曲を作っていくことが多くて、例えば、まだあまり売れていない頃に対バンが客はそんなにいないのに
「こんなにもたくさんのお客さんが来てくれて…」、とか言っていてそれに対して
「どう見てもいないじゃん。」と言ってしまうタイプだったがそれをMCで言ったりするのはそこですることではないので曲にしていた。歌ったらお客さんも皆分かっていることだから、とても痛快でその感じが今でもつながっている。
今はコンプライアンスとか誰かを傷つけたらだめとかが多いけど、過激な時のほうがおもしろい。昔の音楽雑誌はとても辛辣に書かれたりしているのが面白かったのに、今はお金を払ってほめるレビューを書かせる流れは終わっていると思う。最近だったら「NO MORE 劣化実写化」は映画の実写化についてのことをいろんな人が言っていて、それを曲にしたら出してから二年ぐらいたっているがいまだに映画の公開のたびに引き合いに出してもらえたりして、やっぱりみんなずっと思っていることだなと思えてそのような曲を作ってくることができてよかった。