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平成の終わり 新たな時代「令和」へ

西暦二〇一九年四月一日、日本中の人々は一つの会見に注目していた。この国の新たな歴史の節目、新元号の発表である。

 

そして一一時四一分、菅義偉内閣官房長官によって会見で発表された新元号は、「令和」。由来は日本最古の歌集である「万葉集」に収録されている「梅花の歌」だ。

 

新元号が発表されるやいなや、さまざまな業界で令和にちなんだ動きが見られた。小売業界ではキャンペーンセールが、食品業界では令和の文字が描かれた商品が発売され、音楽業界では「令和」というタイトルの曲が登場し話題となった。また、「令和」と文字や音が一致する物事にも注目が集まった。西オーストラリア不動産協会の略称「REIWA」のローマ字読みや、チベット語の「རེ་བ(望み・希望)」の発音が「令和」にそっくりだと話題になった。

 

そして新元号発表から一ヶ月後の五月一日、第一二六代天皇陛下が即位し、元号が「平成」から「令和」へと改められた。天皇の生前退位による皇位の継承に伴う改元は、日本の憲政史上初めてであり、天皇の皇位継承の歴史上でも一八一七年の光格天皇の退位による「文化」から「文政」への改元から実に二〇二年ぶりである。

 

令和へと元号が変わる四月三〇日から令和最初の日である五月一日にかけて、日本中はお祝いムードに包まれ、新元号発表の日に勝るとも劣らない盛り上がりを見せた。TVメディアでは特別番組が放送され、新聞メディアでは特集記事や号外が製作された。また、元号が変わる瞬間や直後に何かをする、という試みを行う人も現れた。元号が変わる瞬間にジャンプする人、元号が変わって直後に入籍するカップル、「令和初」という枠を狙って動画を投稿するyoutuberなどである。

 

 このように、「改元」という出来事に対して盛り上がるというのは日本の歴史上初めてと言ってもいいだろう。なぜなら以前までは天皇の崩御によって元号が変わっていたからだ。日本中が喪に服した中での改元だった為、お祝いムードになることなど到底あり得ないことだった。そのようなこれまでの常識を覆した今回の改元は、ただ元号が変わるということ以上に時代の変わり目を感じるものであった。