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若泉敬 ~沖縄本土の返還に尽力し続けた国際政治学者の苦悩~


↑若泉の出身・福井県越前市で行われていた企画展示

 若泉敬(1930~1996)は、戦後27年間アメリカの統治下にあった沖縄本土の返還に尽力した国際政治学者だ。福井県の越前市横住町(旧今立郡服間村横住)に生まれた。1945年7月に、彼は米軍B29爆撃機による福井大空襲を体験し、戦争の悲惨さを知り、平和について考え続けた。その後、成長した若泉は「みんなが平和に暮らすために政治が必要」と考え、国際政治学者を目指す。1954年には東京大学法学部政治学科に入学し、卒業後は保安庁保安研究所教官(助手)として勤務した。さらに、ロンドン大学大学院とジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所へ留学する。留学をきっかけにアメリカなど諸外国に積極的に出向き、ホワイトハウスに近い人々とも親交を持った。

 戦後アメリカの統治下にあった沖縄本土の返還について、当時の佐藤首相は「外務省を通じた正式な外交ルートでは、返還が非常に困難」と考えていた。そこで、当時国内外で活躍していた国際政治学者の若泉に、ホワイトハウスの意向を聞くよう、密使としての交渉を依頼した。1967~1968年にかけて、若泉は何度かアメリカにわたり、1968年に、交友関係のあったジョンソン大統領特別補佐官ロストウと面談し、佐藤首相の意向を伝え、直後の日米首脳会談で「両3年以内」に返還交渉を始めることで合意。その後、ニクソン大統領特別補佐官キッシンジャーと何度も交渉を行い、1971年6月に沖縄返還協定が調印され、翌年5月に沖縄本土が復帰した。

 その経緯の裏には秘密合意議事録が存在する。佐藤首相は「核抜き・本土並み」「非核三原則」を掲げ、沖縄からの核爆弾撤去を強く望んだが、アメリカは「核抜き」に難色を示した。当時の沖縄には核爆弾メースBが配備されており、アメリカ側のベトナム戦争進行における沖縄基地の重要性が高まっていたからである。畳みかけるように、キッシンジャーは沖縄からの核爆弾撤去に対し、ニクソン大統領が取り組んでいた繊維問題を取り上げた。最終的に、アメリカは①沖縄にある軍事基地の自由利用の保証②繊維に関する対米輸出自主規制③緊急時の核兵器再持ち込み、これらを沖縄返還に応じる条件として日本に提示。1969年11月、佐藤首相とニクソン大統領は秘密合意議事録に署名し、同じ月に両首脳は「佐藤・ニクソン共同声明」を発表し、3年後の沖縄本土の返還が決定した。

 沖縄返還後の1980年、若泉は福井県鯖江市に転居し、静かに隠棲する。鯖江の邸宅には若泉を慕う各国の大使が訪れた。彼は沖縄本土返還の秘密合意について、「他に策はなかった」と思いながらも、核の再持ち込み密約に関わったことで、沖縄県民に対し、申し訳ないという思いで自責の念に駆られる。さらに「施政権さえ還ってくれば、沖縄の米軍基地は減少し、沖縄の負担も軽減される」と若泉は考えていたが、返還後も負担が軽減されることはなかった。

 若泉は晩年まで、家族や友人にも沖縄返還の詳細を知らせることはなかったが、自責の念が膨らみ、核再持ち込み密約など沖縄返還交渉の実態を明らかにした著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(1994年5月15日文藝春秋より)を刊行。同時に、平和を享受する今の日本を「愚者の楽園」として警鐘を鳴らし、現在も基地問題が残る沖縄にとって、「本当に返還は正しかったのか」死期を迎えるその時まで苦悩し続けた。1994年6月、彼は沖縄慰霊の日に、沖縄県民と大田沖縄県知事に宛てた嘆願状(遺書)をたずさえ、「結果責任をとって自裁する覚悟」で国立沖縄戦没者墓苑を訪れる。墓苑の前に座し、長時間祈り続ける中で自裁を思いとどまった。

 そして、当時ガンに蝕まれていた若泉は与えられた余命をいかに生きるべきかを考える。亡くなるまでの数年間、彼は沖縄慰霊の旅を行う決意をした。その中で、彼は自ら壕に入り、遺骨の採集を行い、ようやく見つかった遺骨を手に涙を流しながら、沖縄戦で亡くなった方々を弔うべく供養した。1996年7月、自宅にて生涯を閉じる。

 ちなみに、彼は1964年に京都産業大学法学部の教授として招聘され、本学の世界問題研究所所長も兼任していた。国際政治学者でありながら、同時に教授として教鞭を執り若者の教育にも熱心に取り組んだ。沖縄本土の返還から戻り、隠棲が終了した後も本学で講義を行い、学生たちと真剣に向き合う。1992年、彼は本学を退職した。

 誰しも目の前のことで精一杯になり、外への関心が億劫になりがちである。しかし、日本で生活している以上、社会情勢に飲み込まれることは往々にしてある。そのような時、世界では何が起こっているのか、それが日本にどのような影響を及ぼしたのか、もしそうであれば何をすべきか。いま一度、世界へ関心を広げ、日本の将来について考えてみてはいかがだろうか。