ジャーナリズムのジレンマと学生へのメッセージ~龍谷大学社会学部畑中哲雄教授に聞く~


「ジャーナリズムの世界には、百年単位で受け継がれてきた原理や手放してはいけない鉄則がありますが、私たちの情報環境はすさまじい速度で変化しています。ジャーナリズムの倫理も問い直しは必要でしょう」――。自身の著書『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』(勁草書房)にこう記すのは龍谷大学社会学部教授の畑仲哲雄氏だ。

 畑仲氏は毎日新聞社、日経ホーム出版(現日経BP)、共同通信社に勤務し、東京大学大学院に進学。2013年に龍谷大学社会学部に着任し、昨年度より本学でも教鞭を執っている。今年度は本学で「ジャーナリズムの歴史」と「ジャーナリズムの諸問題」を開講している。
 「ジャーナリズムの諸問題」では実際の報道現場で起こった道徳的ジレンマを振り返り、現代ジャーナリズムにおける難問について考えている。道徳的ジレンマとは、異なる倫理的基準によって正当化されうる二つの選択肢から一方を選ぶという困難に直面したときに心の中に生じる葛藤をいう。
 道徳的ジレンマについて考えるにあたり、ある授業で畑仲氏は一つの事例を取り上げた。ニュース記事をネットに配信している編集者に、「就活中の大学生」を名乗る人物からメールが届いた。メールには、軽微な事件で逮捕されたじぶんの父親の記事を削除してほしいと記されていた。父親は起訴猶予となり、被害者との間で示談も成立しているという。しかし、その「大学生」はこの記事がネット上に掲載されているせいで企業の内定を立て続けに取り消されたと訴えた。
 このような道徳的ジレンマに直面した際、どういった決断を下すべきだろうか。畑仲氏は大きく分けて三つの考え方があると語った。一つ目は最大多数の最大幸福を大切にするという帰結主義の考え方だ。帰結主義によれば、予想される結果を重視して判断することが倫理的になる。二つ目は結果ではなく、行為そのものに軸足を置く義務論という考え方だ。義務論では、だれもが正しく行為することで倫理的矛盾を解決しようという立場だ。
 だが、「結果」か「行為」か、どちらの立場でも解決不能なとき、「行為者」の「美徳」に重点を置く三つ目の考え方がヒントになるという。それは徳倫理学と呼ばれる古代に生まれた道徳哲学だ。
 畑仲氏は日頃の授業で、グループディスカッションを実施して学生たちの対話を促している。そして、決して答えの誘導はしないように心がけていると話す。大切なのは対話。最近は、情報の質よりも人々が関心を集めた方が大きな経済的利益を得られることを指すアテンション・エコノミーや論破ムードに心を痛めているという。相手の意見を深く聞かず、揚げ足をとるようなディスカッションの仕方は貧しいものしか生まれないと語った。
 また、近ごろ話題になっているチャットGTPなど生成AIの話題にも触れた。チャットGTPの台頭により、自分自身で考えることを放棄してしまうのではないかと懸念しているという。畑仲氏は学生へ「思考を止めるな」とメッセージを送った。
 現在の社会的な問題も自分事として捉え、自分ならどうするか、正しい答えはなくとも最善を尽くした行動ができるよう考える力をつけていきたい。